不朽の名著「国家」が生まれるまでにあったプラトンの葛藤
天才の日常~<プラトン・第1回>
哲学者として生きる決心をした理由
その後8年間、プラトンはソクラテスに従って思想を学んだ。とはいえソクラテスは学校を作ったり正式に弟子をとったりしていないし、話を聞く者には誰でも教えるという態度だったから、街をぶらぶらと歩いて誰かと議論をする「師」につきまとい、一言も聞き逃すまいという熱意を持って話を聞いていたのではないだろうか。
プラトンが28歳の時、ソクラテスが死刑判決を受けた。裁判ではプラトンもソクラテスを弁護するために参加していて、死刑の代わりとして罰金刑を申し出、そのお金を肩代わりしようともしていた。だが、その奮闘も虚しく、民主主義に基づいた多数決によってソクラテスの死刑が確定してしまう。
この死の様子は、後にプラトンが書いた『パイドン』に詳しく描かれている。プラトン自身は病気で立ち会えなかったようだ。
目眩がするほど思い悩んだ日々
若きプラトンは、自分がいずれ政治に参加して、ソクラテスの教えを実行し、人々が法律や道徳を守って生きるような国家を作っていきたいという理想に燃えていた。
だが、ソクラテスが告訴されて死ぬまでの間、この理想を一人で実現させるのは不可能なのではないかと疑問が生じた。あまりに思い悩むあまり、目眩がしたほどだったと晩年の回想に書かれている。もしかしたら、ソクラテスが死んだ頃、プラトンは今で言うノイローゼになっていたのかもしれない。
逡巡を続けた結果、個人の生活にせよ国家の在り方にせよ、本当の意味で哲学を行える人たちが政治を行う統治者となるか、権力を持って統治を行う者たちが哲学をするようになるか、このどちらかを実現させなければならないのだとプラトンは思い至ったのである。その考えを深めて形にするために、政治家ではなくソクラテスのような哲学者になることを決心した。
この時に思い描いたイメージがやがてプラトンの代表的著作である『国家』として形となっていく(中篇に続く)。
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